4年間お務めさせていただいた「第2教区長」の職務が
任期満了により終了しました。
実にコロナに始まりずっと振り回された4年間でした。
行事は軒並み中止になり、先送りにせざるを得なくなりました。
最後の年に「護持会総会」「特派布教」を何とか開催させていただきました。
教区寺院の皆様にはご迷惑をかけっぱなしでした。
新体制では諸々行事も復活し、活発な活動ができるようになると念じております。
会場は野田市の海福寺様。
布教師様は横浜市正観寺ご住職の善波裕勝師。
未だマスクの取れない状況下ではありましたが
蒸し暑くも感じる中で、聴衆は熱心に耳を傾けていました。
室町時代の応永年間(1394~1427)ころに、節分の夜に大豆を打ちつけて邪気を追う豆打ちが始まったといいます。
昔、臨済宗相国寺の住職が日記に「文安4年(1447)12月22日、明日節分なり、ゆえに昏景に及び、室ごとにいり豆を散じ、よって鬼外福内の四字を唱。けだしこの方、駆儺(おにやらい)の様なり」と書かれたことから、この頃から「鬼は外、福は内」と唱えていたことがわかります。
唱え方は地域によって様々で、「鬼は内、福は内、富は内」「福は内、鬼も内」などと唱える所もあるようです。
しかし、冬から春の季節の変わり目に、陰の気と陽の気がせめぎあいをして邪気を生じ、災いをもたらすということから、これを払う行事として追儺(鬼やらい)の行事が行われてきたこと、疫病を追い払う意味もあることから「鬼は外」と唱えて悪神、疫病神を追いだす気持ちをこめるのもよいのではと思います。